雑学

【雑学】青という色は本当にあるのか

青色のもの

 

世の中にはいろいろな物に、青色が使われていますよね。海・空・花弁の色・建物・国旗・地球…挙げればキリがないです。

 

 

青色が好きな人は多いのではないでしょうか。青色の服や小物を身に着けたり、部屋の家具に青色を取り入れたり、日ごろよく使う物を好きな青色にしたり。

 

 

 

青は知的な印象を与え、気分を落ち着かせることもできます。また、その色をした空間にいると時間がゆっくりと感じます。(これを利用して、青の空間で気になる人と一緒にいると、相手がまた会いたいと思ってくれる確率が上がるとかなんとか…。涼しい色をした壁の喫茶店なんかがカップルだらけになりそうです。そこのアナタ、試してみては?)

身近にある青という色。この青は曖昧な色だったということはご存じでしょうか。

 

青がわからない!

 

 

 

 

言語学者の調査で、一つの法則を見つけました。言語が進化し色に名前が与えられるようになると、無造作に選んだ二十種の言語はどれも同じ順番でつけられるということです。黒や白の後に、六番目に青がくるとのこと。

詳しくはこちらの記事で

本物の原色って?染料と顔料の違いは?

それとは別の言語学者のモリス・スワデシュが集めた『100の基礎語彙』には、赤・白・黒・黄・緑はありますが、青はありません。

基礎の中に青という言葉がないとなると、空や海について話す時に困りそうです。

古代ギリシャで使われていた青を表す言葉キュアノスやグラウコスは、現代の私たちが想像するような青ではなかったとされています。

キュアノスは紺青・青紫・茶・黒など暗い色調を表し、グラウコスは水・眼球・葉・はちみつなど色の弱々しさや、濃度の低さを表していたようです。

眼球が青って変わった表現をしていますが、それだけ青は曖昧で言い表しにくかったのでしょう。地球を青色と言ったり瑠璃色と言ったりするように。

 

 

 

古代ギリシャの人は、青という昼間に外で上を見たら見られる色に随分首を捻ったようです。空とは、障害物などなく透明なものと思ったら、当時の彼らの青が識別できなかったという話もなんとなく…わかるような。海水も手で掬えば色は無くなりますからね。

この時代の人は君は影が薄いねって言いたい時、君はグラウコスだね、とか言ってたんですかね…これは勝手な想像ですが

 

青が人気になる

 

青色が西洋で認知度を高めたのは、11世紀のことでした。ガラス職人と染色職人による技術革新が、青色の素晴らしさを世に気づかせました。

青色はかつては好まれていない色でした。

 

 

 

 

洋の東西を問わず青は避けたい色で、非現実的な色の為に別世界の色とされ日常で活躍することはなく、古代ローマでは青は喪服の色でした。青は死を連想させる色というのなら、尚更近くに置きたくない色だったのでしょう。

 

 

 

 

話は戻り、ガラス職人と染色職人によって青色の潜在能力が人々に知れると、急激に青色は人気になりました。聖母マリアの黒に近い青の服は、光沢のある青で描かれるようになりました。

青と金の組み合わせの流行は続き、12世紀フランスのカペー朝の王たちは、青と金のアヤメの花を様式化した意匠(紋章)、フルール・ド・リスを冠飾りの紋章として起用しました。

中世後期から現代まで、青色の威信が衰えたことはほとんどありません。

 

インディゴとウォード

 

ウォードという草は土の養分を吸い取ってしまう性質がありますが、青色染料の原料としてヨーロッパで重宝されました。

紀元前55年の頃にすでにその存在は知れていて、スコットランドの戦士は練ったウォードを体に塗り、敵を驚かし尚且つ自然の殺菌成分があらかじめ傷から守ってくれる役割を持っていたようです。

現代で言う日焼け止めを塗るような感覚でしょうか。日焼け止めは塗りすぎて白くテカテカになっても傷から守ったり青くはなりませんが。

 

 

 

 

インディゴとウォードの、青色同士の争いがありました。勝者はインディゴですが、ジェニー・バルフォア=ポールの著作『Indigo』に経緯が詳しく記されています。

フランスがイギリスからインディゴ染料を輸入することを禁じる戦略をとったことから始まります。

イギリスはアメリカ大陸の植民地を失いインディゴ生産をインドに戻します。イギリス人のインディゴの農場主は、インド人に強制労働を課しました。インディゴの葉を入れた大きな桶に入り、蠅がたかる中葉を叩いて染料を作り出すというものです。

その後、1897年にドイツ人がインディゴの合成染料を発明し、この染料の生産を独占しました。第一次世界大戦でイギリスとフランスは、ドイツからの合成インディゴの輸入経路を断たれたことで、インド人はさらなる過酷な労働を強いられました。この染料を作る強制労働が、インド独立の布石となりました。

インド藍はマメ科コマツナギ属、ウォードはアブラナ科タイセイ属です。藍の色素を含む植物は世界に数十種類あるそうです。

また、インディゴには発酵が停滞する症状があり、これを防ぐために多くの迷信が生まれました。

インドネシアとアイルランドの染料職人は、妊婦を桶の傍に寄せ付けないようにしました。妊婦のもつ生命を育む力がインディゴの発酵させる生命力と競い合ってしまうと考えたからです。

 

 

 

モロッコの高山では、発酵の邪魔をするのは悪魔と考えていて、悪魔が興味を示しそうな噂を広めました。不可解なことが起きると目に見えない何かがやったんだと思う考え方は、色を作る業界にもあったんですね。

 

日本

 

日本での藍染は奈良時代から続いています。藍染した布は抗菌性や消臭性に優れ、虫食いの被害も受けにくく保存性が高くなっています。

耐火性も上がる為、武士が身に着ける甲冑の下着や、江戸時代の火消し用半纏、蒸気機関車乗員の制服にも用いられました。

 

 

日本へは6世紀ごろ中国から伝わり、藍染の染料を採るために広く栽培されました。

青は藍より出て藍より青し、ということわざがあります。

染料の藍は黒や茶に似た色があり青みがあまりない。けれど染め出すととても美しい青に染まることから、師や親より優れることを意味します。

出藍の誉れとも言います。

 

最後に

 

今は当たり前のように色を見てその名前を言い、多種多様な色を身に着けたり周りに置いたりして色を楽しんでいます。

色に名前がつけられ、人々が同じ色を思い浮かべられるようになるまで長い時間がかかったのです。

青という色が分からないといったように、現代でも名前を与えられた色の中に、未だはっきりと言葉に出来ない色が息を潜めているのかもしれません。そんな曖昧な色と出会った時、青だと言いたくなるのか見てみたくなりませんか?