禅語

禅語で心を紐解く『迷己逐物』の意味

現代はとても便利になりました。

離れた人ともすぐに連絡が取れ会話ができたり、沢山の情報をネットやテレビで手に入れることができます。

時には、物が増え豊かになった世の中に疲れてしまうこともあるでしょう。

日本には四字熟語や諺など、素敵な言葉が受け継がれています。

そしていつもそれらは、人や世の中の真の部分に触れていて、目にした人の心に静寂をもたらしてくれます。

ここで出会う言葉で、あなたの日常に少しでも安らぎを。

迷己逐物の意味

こちらの禅語は碧巌録(へきがんろく)にあります。碧巌録は中国の仏教書です。全10巻からなる書物で1125年に成立しました。

迷う己の物、と漢字のそのものからとれる意味からして、何だか晴れ晴れとした印象は受けません…。

日本語バージョンだと、「己れに迷って物を逐う」となります。「おのれにまよってものをおう」です。

(言葉の順番がちょっと違和感がありますが、そのことはちょっと置いておいてください)

人は、お金や趣味で集めている物、権利や名誉など、欲しいと思うものは沢山あります。

欲望は生きる活力にも繋がりますから、ある程度はあっても良いでしょう。すぐに手に入りそうなもの、ちょっと頑張らないと手に入らないもの、色々あります。

物があることは安心や自信をもたらしてくれますし、充実した精神を育んだり人生を送るためにも活躍してくれることもあるでしょう。

ですが、それらを追うことにばかり気を取られて、己れ(自分)を見失わないように、という教えです。

言葉の順番

さて、自分に迷って物を逐う(おう)ということですが…。

森で釈尊(しゃくそん。釈迦の総称)が座禅をしておられた時、遠くで何人かの人の声がした。しばらくして、若い女性が釈尊が座禅をしていることに気が付かないまま森の中を走って行った。すると、その後若い男が女性を追うようにやって来た。

目つきからして何かあったとわかるような表情をした男は、釈尊に尋ねた。

若い女がここへ逃げてきてはいないですか、自分達の財布が盗まれてしまって、といった内容を聞いた釈尊は静かに問うた。

逃げた女を探すのと、自分を探すのと、どちらが大切か?

戸惑う男に、もう一度同じ言葉を問うと、彼は自分の愚かさに気づいた。

自分を忘れてしまい、物を逐うという展開になってしまっていたのです。

自分の心の世界に、「己れ」というのをどっしり構えていれば、物事が動いたり失われても容易く揺れることもない。

そのようなことを伝えたいのです。

風が吹くと枝がしなやかに曲がり折れることがない木も、根本はしっかりとしています。

根をしっかりと張るには、己れのことを生きながら学び、そして真の意味で自分を愛することが大切なのではないでしょうか。