禅語

禅語で心を紐解く「破草鞋」の読み方と意味

現代はとても便利になりました。

離れた人ともすぐに連絡が取れ会話ができたり、沢山の情報をネットやテレビで手に入れることができます。

時には、物が増え豊かになった世の中に疲れてしまうこともあるでしょう。

日本には四字熟語や諺など、素敵な言葉が受け継がれています。

そしていつもそれらは、人や世の中の真の部分に触れていて、目にした人の心に静寂をもたらしてくれます。

ここで出会う言葉で、あなたの日常に少しでも安らぎを。

破草鞋の読み方

破草鞋は「はそうあい」と読みます。そうあいとは、わらじのことです。

わらじはわらを編んで作られている履物。草履と違うのは、草鞋の紐を足首に結びつけるところです。見た目はレディースサンダルのような感じですかね。(ざっくりなイメージですが)

昔の表現で、「草鞋を脱ぐ」という言葉があります。

旅を終える・ばくち打ちなどが一時的にその土地に身を落ち着けること・宿屋に泊まるという意味があります。

逆に「草鞋を穿く」は、旅に出ることやばくち打ちがその土地を離れるといった意味があります。

破れたわらじ、ということから意味が分からなくとも、言葉の深みの種が隠れていそうな気配がしますね。

意味

破れた靴を穿いて雨の日に歩くとどうでしょうか。足が濡れて気分が悪いですし冷えてもきます。砂利道を歩くと、石の角が足に当たって痛くなることでしょう。

そんなボロボロになった靴は実質何の役にも立ちません。靴は足を守り安全に歩くためにありますから。

生きている上で、その時は必要だと思って留めて置いた物でも、後になって不必要だと気が付くこともあります。いくら新しいものといっても、人によっては役に立たないということもあります。

多くの人と繋がれる現代、人間同士の関係について重荷を感じている人もいることでしょう。

人は様々な経験をし、学んでいきます。ですが、いざ本当の自分の姿を見出そうと思うと、得たものや知識は不要となります。言い換えるなら、心の鎧とか周りの人と関わる時用の仮面(性格)といったところでしょうか。

無防備な自分そのものと相対する時、周りに落ちている脱ぎ捨てた武器や防具が「破草鞋」。

そこで、改めて今まで自分が手にしていた知識などを手に取って、見つめ直します。

禅者は穿き古した草鞋を洗い、それを細かくして壁の下地に使ったり、堆肥として活用したようです。

これを自分の知識や感情、人間関係や学び得たこととして例えてみましょう。持っているものをただ愚直に理解したり扱うのではなく、一度手放して客観的に見ることで新たな肥料(知識や考え方)として再利用する。

時には少し寂しいかもしれません。古くなったものには愛着が湧いているから。けれど、それを得たという実績はきれいさっぱりなくなるわけではありません。

この「草鞋」が壁にどれだけ使われているかで、にじみ出る人間味の深さが変わるのでしょう。

ここまで語りましたが、こちらの「破草鞋」という禅語をどのように解釈するかは人それぞれです。

この言葉を通して、新たな価値観や課題が見えてくるかもしれませんし、使い古した鞄があって捨てようと思っていたけれど、リメイクしてみようかなと思い立ったかもしれませんね。