雑学

【雑学】貝紫色とは?紫色の歴史

紫は高嶺の花だった

 

むらさき。そう聞いてどんなものを思い浮かべますか?

朝顔、茄子、葡萄、虹、和風、蝶々、それか紫外線?

 

 

 

 

紫はミステリアスな変わった色で、昔から人々を引きつけました。

なぜ紫というのでしょうか。それは、染料にしていた植物に関係しています。

ムラサキという草があります。群生する植物のため、群れて咲く(群+咲き)ということからムラサキという名前になったそうです。この植物の花は白です。

このムラサキの根を染料としていたために、染色された色も同じ言葉で呼ばれるようになりました。

 

 

 

 

また、当時は紫草を栽培することが難しく珍重されました。古代中国や律令時代の日本では高位を表す色であるとされ、主に皇族やそれに連なる人しか使うことができませんでした。

現在でも紫色を身にまとい、その人が高位であることがわかる身近な場所があります。それは神社です。

華やかな赤を身にまとった巫女さんほど見かけることはないかもしれませんが、筆者は兵庫県の生田神宮で宮司さんをお見かけしたことがあります。神社に訪れた際に気にかけてみるといいでしょう。

明るいというよりは、暗くどっしりとした紫色の印象を受けました。

 

 

 

 

今日では紫の衣服やアクセサリーが売られ、誰でも手に入れられます。

もし、今から昔のように紫色の物を持てる人を制限しますと言われたら困る人もいるでしょう。

例えば紫が好きな色トップスリーにランクインしている筆者とか。…え、あなたも好きですか?気が合いますね

TPOは弁えないといけませんが、日常に紫色を取り入れられる自由があるのはいいことです。

 

貝も色に貢献

 

紫は海外でも貴重であり、貝紫色は高貴な色とされました。

 

 

 

 

英語ではロイヤルパープルといわれ、フェニキアのティルスで多く生産されたことから、ティリアンパープル、フェニキアの紫と呼ばれました。貝紫色は澄んだ赤みの紫です。

また、プリニウス著書の『博物誌』では、赤か紫に青味がかった黒の色合いを持つ、色調の定まらない色、と述べています。

フェニキアは古代の地中海東岸にあった歴史的地域名です。ティルスはユネスコの世界遺産に登録された史跡で、地中海に面する都市遺跡です。

 

 

 

 

しかし、貝殻の乱獲のためか貝はその姿を減らしていき、後に王家の色といえば深い青のロイヤルブルーへと変わりました。

さて、そんな貝紫色というものを作ることがどれくらい大変か、一つ例を挙げてみましょう。

布を紫にする為にアクキガイ科の巻貝から染料を採る場合、トーガを染めるのに1万匹の巻貝が必要です。

トーガ(トガ)とは、古代ローマで下着の上に着ていた一枚布のことです。男性が着用していたそうです。美術館にあるような、服がだぼっとしていて、布が体に巻き付いているように見える像をイメージして貰えるとわかりやすいかと。

30mlの染料を採るには、25万匹の巻貝が必要だったみたいですよ。ちょっとした山が作れますね。ただし、動植物の住む生が宿るような山ではありませんが…。

 

 

 

 

巻貝一匹を相手にしても、紫色に染めるのに必要な白い液体が一滴しか出ません。布一枚を染めるのにそれを一万回繰り返します。10キロ米袋から米粒を一つずつ箸で取り出すような気の遠くなる作業です。

白い分泌液は、布地を黄緑色にし、太陽光にあたると緑から黄色へ、そしてやっと紫へと変わり色を深めていきます。

 

 

 

 

高貴な色は刺激臭

 

貝紫は、ニンニクかネギのような刺激臭を放つため、フェニキアの染色職人はそれはそれは大変な思いをしていたのでしょう。

色を作るのに、それ以外にも刺激臭のするものを傍に置いておかなければならなかったのですから…。ヒントは人によって作り出される黄色、です。わかりましたか?昔の人は何でも使えるものは使ってたんです。エコですね。

その貝によって染められた布は、百年経ってこすっても臭いがするそうですよ。まるで、貝紫の逆襲のようです。

 

 

 

 

高貴な色を身にまとうのには、当時のその人達にしかわからない苦労があったのかもしれません。

今日服屋さんで手に入る紫色の服が、ニンニクやネギのにおいじゃなくて良かったと思いますね。