雑学

【雑学】スギ花粉症は昭和50年頃に流行り出した

 

毎年大勢の人を悩ませるモノは色々あります。

ノロウイルスはその代表で、時季になればよくテレビでもインフルエンザ感染者の人数を報道しています。

 

 

菌が見えれば避けられるものの、仮に見えたとしても沢山の敵を避けきるという芸当はなかなかに難しそう。

もし、極小サイズのモノを見られるとしたら、避けたいと思うものはなにも菌だけじゃないのではないでしょうか。

 

 

それは、くしゃみと鼻詰まりで無駄に体力を持って行き、目も満足に満足に開けさせてくれない、花粉。

「スギ花粉症」という言葉をよく聞きますが、昔はスギ花粉で苦しむ人は少なかったのです。

 

スギ花粉症と戦争の関係

 

 

春は、芽吹く花々に心躍らせる人と、植物によって苦しい目に遭う人に分かれます。春=花粉症の季節と憂鬱になる人もいるかもしれません。

スギ花粉症には太平洋戦争が関係しています。日本側がハワイの真珠湾攻撃をしたことで始まり、1941年から1945年にかけてあった太平洋戦争。和暦で言うと昭和16年から20年。

戦後間もない頃は、スギ花粉症で悩む人は多くありませんでした。というのも、昭和50年頃にスギ花粉症になる人が増えたそうです。

 

 

戦前の日本にはスギはそれほどありませんでしたが、戦後に復興のために建築材料が大量に必要になり、次々と植えられていきました。

スギが少なかったらその花粉に悩む人はあまりいないので、スギ花粉症という言葉も出回ってなかったのです。

 

 

スギも木ですから、すぐに花粉を飛ばせるというわけではなく、20年や30年の時が必要です。

つまりスギ花粉症に悩む人が急増した昭和50年頃、戦後に植林されたスギの花が一気に開花した、ということ。

スギ花粉症も一つの戦争の残り香ともいえるでしょう。鼻が詰まっていてはにおいは分かりませんが。