筆に水を含ませて絵の具をつけ、真っ白な画用紙に塗る。小学校の図工や絵の宿題が出て、そんなことをした経験はあるかと思います。パレットに絵の具を出しながら、どんな絵にしようかと想像するのは楽しい一時。
授業の終わりに片付けをする時は、席を立ち廊下に出て水道がある所まで行くというのがちょっと面倒でしたが…。
それはさておき、たまにまだあると思っていたのに絵具が切れてしまった、という絶望を経験したことはありますか?
夏休みに田舎にある実家の外へ出て、そこからの景色を描いたとしましょう。
ちょうど下書きした木を塗ろうと思っていて、すぐにでもその色が欲しいと思っていたところに、偶然にも傍に茶色の絵の具が落ちていたら、使いますか?例えその色の名前が風変わりでも…。
三つの異様な色
〈カカ・ドーファン〉
フランスで数週間だけ流行った色があります。1751年の終わりに、カカ・ドーファンという色が流行りました。
ルイ15世の孫息子の誕生を祝ってのことですが、黄色を帯びた茶色の名前は「ドーファンのウンチ」。ドーファンは皇太子という意味で、1350年から復古王政期(1830年)まで用いられた称号です。
〈イザベラブラウン・カラー〉
言い伝えではありますが、オーストリア大公妃イザベルにまつわる話。
イザベルは1601年のオーステンデ攻囲戦(八十年戦争中に起きた戦いの一つ)が成功するまで下着を着替えないと誓ったそうです。1604年にそれは達成されました。
日本は湿気が多く、お風呂には毎日入るという風習に対して外国ではそうではないと言っても、さすがにちょっと…。
また名前に関しては、スペイン女王のイザベルにちなむという説もあります。
彼女はイタリアの航海者、クリストファー・コロンブスがアメリカへ渡るのに必要な資金のために、宝石を質に入れたそうです。
同年の1492年、コロンブスが西インド諸島に着き、二年後にスペインとポルトガルとの間で締結された条約に基づいて、アメリカ大陸はカスティーリャ王国の領土となりました。イザベルは故郷カスティーリャが包囲攻撃を回避した時に、勝利するまで胴着を替えないことを誓ったそうです。痒かったのは半年間だったとのこと。
この誓いを立て成し遂げる女性に感化されて、よしやってみようと思っても、現代では色々と心配されそうです…。
〈モンミア〉
名前から漂う不穏な空気を悟った方、正解です。ミイラの残骸から作られた絵の具があったのです。ヒトやネコがその対象になりました。
とても稀少なものだったようで、記録に残っているものでは1586年とかなり昔。しかし、驚くことに19世紀を過ぎても絵の具として出回っていたそうです。
この色の不足を補おうとイギリス人の薬剤師が人工モンミアの作り方を発案しました。
それは今では考えられない方法ですが、一部を紹介すると“若い健康体の男性”が色の世界へと誘われる、といったところでしょうか。かなり省略と美化した表現になりますが…。
これは本当にあったのかと疑っている方に朗報です。
ウィリアム・フィールドというイギリスの絵の具職人が、ミイラ絵の具について記述したものがあるそうです。あたかも工場のライン作業のごとく淡々とした文で、その絵の具の質感やにおいについても記されているのです。骨入りの練り物のようで、ニンニクとアンモニア臭がするのだとか。
19世紀にやっと画家たちにその材料が知られ、時を経た体によって作り出される茶色は手放されました。絵の具を埋葬した人もいるようです。
現在のマミーブラウンは混合されたもので、もちろん画家たちを恐れおののかせた材料は含まれませんが、名前からは過去の非人間的な言動の残り香がします…。
知らず知らずのうちに、ミイラを粉砕して作られた色を自分の絵に使っていて、周りでも同じものが使われていた。
昔、西洋ではカニバリズムがどうのという話もありますが、島国の民からすると海の向こうであったこと。それが余計に異世界感を漂わせます…。