ホラー特集が夏によく放送される。実際に合った体験談や心霊写真を募集する番組もあるが、中には胡散臭いなぁと思いながら観ている人もいるのではないだろうか。
ここでは、実体験を交えて心霊写真について考える。
ときに、心霊写真に映っている人のモザイクの方が怖いのは筆者だけだろうか…。
頭に刺激的なものを求める人という生き物は、それを求めてホラー特集を観たりサイトを訪れる。けれど、不可解な体験をしたことがない人にとっては想像でしかなく、嘘っぽいなぁと思ってしまうのも無理ない。
どんなに心霊だの呪いだの言っていても、結局のところ現実に暮らす人という存在が怖いのだという話は事実でもある。しかと恐怖に陥れてくる存在を見ることができ、身の危険を察知しやすい為、直線的に恐怖を脳が覚える。
けれど、その対象が本当に見えない、あるいは現実に存在しないナニカだとすると、これまた怖ろしい。しかもそういった類は切り取った時間に現れたりするのだから、もはや卑怯ですらある。誰にも気づかれずに写真に映り込み、幽霊ライフを謳歌しているんだなと楽観的に考えはできるものの、実際はそうはいかないだろう。
そういった写真が撮れる場所というのは、近くに墓場があったり、古い建物だったりと意外に探せばある。けれど、なぜか幽霊側は人の心を見透かしてか、狙って心霊写真を撮ろうとしてもなかなか撮れない。
全く狙わず、寧ろスピリチュアルなことなど頭にない状況で撮れることが多い気がする。
歴史ある場所は映りやすい
日本には城が多く残されていて、城はすでにないが跡地があるという場合もある。日本の歴史は途方もなく長い。だからか、その歴史の道の途中で建てられた城(再建のものでも)があってもその凄さが捉えきれない。こんなことがあったんだなぁ、という軽い感じで受け止める人も少なくはないだろう。
けれど、実際に昔確かに生きていたと思わざるを得ない写真が撮れたことがある。
城内には、当時使われていた物が展示されていることがある。昔の人の生活の苦労を感じながら見て回り、過去に活躍した物を見て写真を撮りながら観光を楽しむ。撮影禁止のところも多いから、その辺はよく注意しなければならないが、もう一つ注意しなければならないことがある。不可解なモノが、映るからだ。
不可解というか、平たく事も無げに言えば「血」と「オーブ」が映ったわけだが、やはり現状的に言うとおかしな写真だ。一つは城内の展示されていた鉄砲、一つは外の木が映った写真。鉄砲の血は物そのものの記憶なのか、城内に渦巻く心残りを訴えているのか。使っていた人の気持ちがそこにあるのか…。外で撮った写真には、オーブが無数に映っていた。
正直な話、世界遺産でもあるその城は、外観はとても好きだが、中を見て回るとなると少しばかり身構える。冷えていて空気に滞りがあり、空間全体をゆったりと何かが漂っていると言ったらいいのだろうか、そんなものを感じる。ここでも平たく言えば、「苦手な空間」ということだ。けれどそれは感覚的な問題であって、目や脳は見学したいと思っている。なんという矛盾。
お墓
これもベタ中のベタだが、墓場ではなくてもその付近だとか、元古墳だった場所だとかでも撮れる。というより、そもそも墓場は故人の眠る場所で、写真を撮影する場所ではないからマナーとしてもよろしくない。
怖い話によくあるように、近くで交通事故で亡くなった子が映っていたとか、道端に立っていたという内容があるから、「付近」単位で捉えた方がいいかもしれない。
筆者の通っていた幼稚園は、傍に墓場があった。幼稚園の敷地内から直に見えるわけではないが、これまた赤い染みが映ったこともある。
終わりに
心霊写真は、お寺で供養するのが良いとされる。実際に持って行く人はどれくらいなのだろうか。中には、気が付いていないだけでアルバムに混じっている心霊写真もあるかもしれない。しかし、今時は写真を現像してアルバムに貼るということもあまりしないだろう…。
ちらと聞いた話だが、ディズニーランドではアトラクションに並ぶ人数を何度数え直しても数が一致しないという。それは当たり前だと思うのだが…。並んでいる途中で抜ける人などがいるだろうに。
ただ、人が多い場所にも出やすいという話はある。水場とかも。
ただ直に見えていないだけで、道端に立つ人と知らず知らずのうちにすれ違っているかもしれない。
こんなに心霊がどうのと書いていると、ふと少年ジャンプで連載していた某漫画を思い出す。物語の始まりは心霊味が強ったのを覚えている。オレンジ頭の高校生が立ち止まり、他の人には見えない子どもに声をかけている光景が…、あるわけないか。ところで、死神も心霊に含まれるのだろうか。
心霊系は、科学では証明できないといわれているが、世の全てを証明できるとしたら、それはそれで面白くなさそうだ。