神はいるのかいないのか、幽霊はいるのかいないのか…。
目に見えないものや架空のものは現実と混同している。降霊術や悪魔崇拝、妖精や天使など一見して人の想像の産物に思えるものを真剣に考える人がいる。けれど、実在するかのはっきりとした説はない。だからこそ見えないものに対して人は恐れ、または非現実的なものとして興味を示す。
ネット上で話題が尽きない異世界などもそうだ。今いる「現実」というものは脳が見ている夢にすぎず、本当は肉体などなく、保存性に長けた液体に漬けられて機械に繋がれた脳だけの存在だという話もある。
だとしたらその脳を管理し研究やら実験やらしている何者かが、色々な情報を脳に流し込んできている上で起きたエラーによって異世界に迷い込むのかも、などと考えだしたら思考の沼地に沈むことになる。もしかしたら、脳の管理者たちは根拠もない説に惑わされる人々を笑い楽しんでいるかもしれないし、我々がオバケだのネッシーだの騒ぐのだって、彼らにとっては実験の調味料の一つのようなもので、遊び心で幻を見させているだけかもしれない。
人類が誕生する前から、日が落ちた空の漆黒を飾ってきた星も幻だとすれば悲しい話だ。人々ははるか遠くにある小さな光を見上げ、動物や物の形に例えてそこから物語も生まれた。
もしかすると、その無数の光の中に人知れず高速移動したりパッと消えたりしたものがあったかもしれない。今も広がり続ける宇宙に、瑠璃色の星以外に住んでいる生命体がいて、地球も彼らの考えた正座の一部になっているかもしれない。そう考えると、これまた湧き水のように思考は止まらない。何にせよ、そういった類の話は頭の中で自分をぐるぐると旅をさせてしまう。
何の冗談でもなく、「幽霊はいる」派の筆者は、中学の頃に不思議な物を見た。
一度目は中学一年の時。冬以外の温かい時季のこと。確か夏だった。冬には雪が積もり道の凍結は当たり前、手足や耳も寒すぎて麻痺して感覚が無くなるレベルに冷える所だったから、もし冬ならその記憶も共に刻まれている。
当時吹奏楽部に入っていて、自主練をしていた。その中学の廊下はテラスと合わさったようなもので、窓ガラスが無く床に土ぼこりがよく溜まるような廊下だった。今は改装され綺麗になって窓ガラスもあるが、当時は三棟が並行して建つ校舎の合間からガラスや壁を隔てることなく綺麗な空が見えた。
そんな廊下に出て自主練をしている時、ふと空を見上げた。(この手の話によく「ふと」が出がちだが、あれには何か未知の力が働いているとしか言えない)青の晴れ間と真っ白い夏の雲の間に、とても小さな光を見たのだ。
陽が照る中だというのに、その光よりも強く光る何かがあった。真っ白というよりは、少しだけ黄色っぽかったかもしれない。それだけなら、何かが反射してるのかなーで終わる。しかし、その砂粒のような光は超高速でS字を描いて雲の中に消えて行った。よくイラストで描かれるUFOの通った跡にS字が用いられるが、まさにそれだった。
消えて行った方角を追うようにして、別の棟まで走って空を見上げたが、いつもの穏やかな空が静かに雲を流していただけだった。
二度目はそれから一年後。これも温かい時季だ。二学期の頃だったと思う。
社会の授業で、席替えをして少し経ち、一番後ろの席になった。社会の授業を教えていたのは当時の担任の先生で、そのこともあって外のそれに目を奪われた時にちゃんと前を向かないとと思いつつも、廊下の向こうを見ていたのを覚えている。
担任の先生が授業をしていると、他の先生がする授業の時と生徒の様子が違い真面目になる現象があるが、その時の心境はこれに似ている。(自慢ではないが筆者はそれに関係なく、授業は余談のメモまできっちりとるほど真面目に受けていた)つまり、それほどまでに目を奪われる光景が廊下の向こうにあったのだ。
丘の上に建つ校舎の三階からは、町並みと奥には連なる山が見える。教室の後ろのスライド式の扉を開けたままで、この時も「ふと」黒板や机上のノートではなく、横の縦長に切り取られた景色を見た。
黒い物体が浮かんでいた。山の上辺りにあったそれは、ゆっくりと景色を横切るように降下していた。しかも、山の奥にではなく町並みが広がる手前の方に。そこで、あれは何だと授業中に騒げる性質ならそうしていただろうが、ただ授業を聞きながら手は疎かになり、目はそれに釘付けだった。
黒く楕円形を潰したような形で、中に紫の丸が三つほど並んだ物体。丸の部分は縁が紫でその中は深紅っぽかったかもしれない。や○らか戦車というキャラクターがいるが、あの白い頭(体?)の下にある彼らの足に相当する部分に似ていた。そのや○らか戦車の足みたいな物体は、着地を見られないまま限られた景色を横切って行った。
距離から考えるとそれは相当な大きさだったはずだが、自分の教室や他の教室からもざわめき一つ聞こえなかった。後に同年頃の未確認浮遊物体目撃情報を調べてみると、目撃された数が多い年とだいたい被っていた。また、それ関連の動画を観て知ったのだが、その未確認浮遊物体は「葉巻型」と呼ばれるものだ。
それでも、はっきりとあれはUFOだと言い切れないでいる。筆者の中で幽霊と未確認浮遊物体を天秤にかけた時に、より存在すると信じるのはという問いで、前者に傾くのは今でも変わらない。
あれは何だったのか。そう言われる出来事は何の予言もなく訪れ、今も息を潜めてその機会を向こうは窺っているのかもしれない。