壁の存在感
部屋の内装の雰囲気を大きく左右する壁。
家具屋さんに足を運ぶと、棚やテーブル、ソファーにカーテンなどを物色する際には、どんな色合いやデザインが部屋に合うのか考慮するもの。
壁に木材が使われているのなら、本棚やテーブルもそれに合わせたりすることもあるでしょう。
さて、「リラックス効果を狙った空間にしよう」と思い立ったとしたら、どのような色にしますか?
緑にしようとしたのなら、このお話はご存じでしょうか。二度フランスの皇帝となったことでも有名なナポレオンに関する説。
ナポレオン・ボナパルト
コルシカ島という、イタリアの西にあるフランス領の島で生を受けたナポレオンは、今でも有名です。
様々な映画や演劇、文学作品などにも登場し、テレビではナポレオンが白馬に跨った『ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルト』の絵が映ることもあります。
映画でもっとも登場した歴史上の人物として、ギネスブックにもその名が載っているようです。当時の本人からすると「ギネス?なんのこっちゃ」かもしれませんが…。
ずっと昔に生きていた人が、後生の脚本家や作家たちによって再び活躍するというのも夢のある話です。
ナポレオンが晩年に過ごしていた「緑の部屋」の話をする前に、ざっくりとですがそれに至るまでの流れを。
ナポレオンは国会の議決と国民投票により一度は地位を手に入れたものの、腹心の部下の裏切りにより退位させられます。
二週間経たないうちにフォンテーヌブロー条約が締結され、ナポレオンはエルバ島(イタリア半島とコルシカ島の間に位置する)の小領主となります。エルバ島の主権や皇帝称号など認められ、后妃と息子にイタリア北部のパルマ公国の統治者の地位が与えられること・ナポレオンと会えることをなどを約束したフォンテーヌブロー条約。
しかし、条約の中にあったフランス政府から年金が送られるということに加えて、家族と会うということは暫くの時が経ってもありませんでした。
一方その頃、フランスではルイ18世が即位していました。しかし、王政復古期のブルボン朝は国民の間では不評だったようです。約束を反故されたと知ったナポレオンは、軍を率いてフランスに戻り、再び地位に就きました。
その後、イギリスやオランダなどからなる連合軍・プロイセン軍(現ドイツ北部からポーランド西部を領土とした王国)との和解を試みようとしますが、拒まれたことで結局は争いを繰り広げることになります。
しかし、ワーテルローの戦いでフランス軍は敗れ、これがナポレオン最後の戦いとなりました。再び咲いた花は三か月と少しで閉じ、アメリカへの亡命も考えていたナポレオンは、母国から遠く離れたセントヘレナ島での生活を強いられます。
犯人はシェーレグリーン?
監視された生活はどれほど精神に負荷がかかったものだったか。
それには自身の胃痛も一役買っていました。気を紛らわそうとするとき、何をしますか?体を動かすことや音楽を聴く、食べることや眠ることetc…。
おそらく大半は痛みが強すぎるとままならないことだと思いますが、ナポレオンは苦痛を和らげようと入浴をしたそうです。カーテンを閉め切った部屋を行き来して、人に見られながら痛みにも耐えなければならない。しかも胃という食欲に直結する部分。想像しただけで気が狂いそうな生活です。
そんなナポレオンがいた部屋は、森林のような壁色をしていたらしく、これが今も囁かれる噂に繋がります。
頻繁にお風呂に入っていたために壁にカビが生え(そうでなくても心身にも生えそうではありますが)、シェーレグリーンが使用された壁紙に含まれる酸性亜ヒ酸銅がトリメチルヒ素となりそれが混じった蒸気によって死亡した、という説があります。
シェーレグリーンは合成緑色顔料で、かつて絵画にも使用されていました。毒が含まれた色で部屋を彩ったり絵を描いたりする…。もし当時の画家だとしたら、身の危険を冒してでもシェーレグリーンを使いますか?
ナポレオンは、胃癌によって死亡したというのが一般論であり公式でもそう言われていますが、住居で毒と隣り合わせに暮らしていたら噂されるのも無理ないというか…。
ところが、イタリアの核物理研究学者が、ナポレオンが生きていた時代の人々は今生きる人々比べるとヒ素値が高かったと発表しました。
癌は日本の国民病の一つとして大頭するため、死亡は胃癌によるものだという公式の発表に頷きたくなりますが、昔の人がヒ素値が高かったという事実にも驚きです。アビリティとしては毒を吐く敵に有効なのでしょうか…。毒状態にならない、みたいな。
また、19世紀に花緑青(はなろくしょう)という人工顔料がドイツで生産されていました。これも亜ヒ酸銅を含みますが、絵具として使われて建築物にも塗られていました。殺鼠剤や農薬などにも使われたそうです。