『i』私はこの世界にいていいのだろうか。今を見つめ直す作品

西 加奈子著:『i』(ポプラ社)

ワイルド曽田アイ。それが主人公の名前。

国際結婚した親に養子として迎えられた。複雑な名前と同じく、アイも複雑な思いを抱きながら生きていくことになる。そんな中、高校に入学したばかりの時に数学の授業で彼女に衝撃を与えた言葉があった。この世界に「i」は存在しないのだという。

果たして、アイは「ある」のか「ない」のか?世で生きている人、災害と暴徒の犠牲者、そして生に対しての叫びがここにある。

養子として迎えられた主人公

 

あなたは養子という言葉をどう捉えているだろうか。

子どもが欲しいけれど恵まれなくて、養子をとることにした。何らかの理由で子どもを産めず、けれど子どもは欲しい。など、養子と言えば学業に精を出す年頃や、これからそれを控えている幼児を思い浮かべるかもしれない。

しかし、日本においてそのケースは珍しく、家の存続が目的で婿養子を迎えるということが多いようだ。『i』の物語の舞台の一部はアメリカであるが、そちらの国ではわたしたちが思い浮かべる、血縁関係のない子どもを迎えるというケース、次いで配偶者の連れ子を養子として迎えることが多い。日本で血縁関係のない子を迎えるということは今のところほとんどない。

家と血筋を絶やさないという考えは日本という国ならではだろう。そこには歴史的背景と国の人柄や考え方も関与していると思う。血縁=家族の考え方は国際化している今でも濃く残っているのではないだろうか。たとえ家族とは、それだけではないと頭でわかってはいても。

アイはシリア生まれで、アメリカで迎え入れられた両親とは全く見た目が違った。アメリカ人の父と日本人の母。両親はアイに小さいころから嘘偽りなく様々なことを話した。

シリアという国がどんなところか、世界は平等ではないこと、性のこと。そして裕福な家は子ども一人が育つには十分で、それもアイを苦しめる。

世の不平等に捕らわれる

 

自分は得るべきではない幸せを得ている。養親に愛されていることは分かっている。二人のことは本当の親だと思っているし、プレゼントを貰えないこどもだって世の中に沢山いる。けれど、テレビを観ているときやお菓子を食べているときも、その人たちは苦しんでいる…。

アイは行ったこともない国の出来事でも胸を痛め、大きな災害や人災があれば自分がなぜ今生きているのか考える。

日本でいうならば、東日本大震災が記憶に新しいことだろう。日本に自然の驚異を知らしめた大地震。かなりの年月が経ったが、震災後にテレビを点けるとどのチャンネルもヘルメットを被ったニュースキャスターが、できる限りの冷静な顔と声で現状を伝えていた映像は今でも鮮明に思い出せる。

一か月経ってもテレビやネットからは不穏な悲しみを漂わせ、また次いつ揺れるのかと怯えている気配もした。その他にも各地の地震や台風に土砂崩れ、川の氾濫によって町が浸水した町…近年だけでも思い出し切れない。

ところが、外国の出来事はどうだろうか。大きな災害やテロはニュースで流れるかもしれないが、その他のことは随分とあっさりしている。自分の国のことでも大変なのに、あっちにもこっちにも悲しんでいたらわけが分からなくなってしまう。

だが、アイは長らくそうしていた。そうさせているのは、シリアという国が生まれたところだからなのか、裕福な暮らしをしているからなのか…。様々な要因がからまり、アイは考え続ける。

アイの人生に変化が

 

世界では多くの人が亡くなっているというのに、自分の周りではそんなことは起こらない。でも確実にアイの知らない場所で大勢が亡くなっている。

アイはその苦しみを誰にも打ち明けることなく、父親の仕事の理由により家族三人で日本に住むことになった。複雑な人生と繊細な心を持つ少女は日本とマッチした。

中学から日本の学校に通うことになるが、高校でこの世界にアイはないのだという教師が現れ、アイをさらなる思考の迷宮へと追いやる。

しかし、権田ミナというクラスメイトがアイに変化をもたらす。アイとは正反対の明るい活発な女の子だ。そして、アイにとって人生で初めての親友となった。

アイは学校生活にミナがいることで充実するが、お互い深いデリケートな部分まで話しはしなかった。

それが後に二人の関係を危うくしてしまうのだが、女子高生ライフを二人は楽しんだ。

その後のアイの行動と気持ちの変化は人生を左右する出会いもあり、浜辺の押しては引く波のように揺れながら、けれども着実に生きるということは何かを知っていく。

周りの不幸と自分の幸せ、目に見えない幸と不幸の選択とは。大人になるということ、親になるということとは?

そして、「アイ」はこの世界に「ある」のか「ない」のか。周りに支えられながら、アイが考えた先に辿り着いた答えとは…。

さいごに

 

血が繋がっている家族とそうでない家族。友人を家族のように思っている人。または本当になんじゃないかと思っている人。

血が繋がっていても愛せない家族、愛せる家族。

人は多くの悩みを抱え、また悩みがないことが周りと違うと思わせてしまう。

世界に不平等があることや、悲しい出来事が起きているのに大きな手助けをすることはできないことによる諦めや、あっさりとした受け入れ。

事件や災害を知り、泣いたらその人々は救われるのか。救われないのなら、無駄に心のエネルギーを使うこともない。なんか大変そうだなぁ、で終わることってありませんか?

そういった諦観に近い心境、ありませんか?

『i』は読む人によって思うところや、印象に残る部分が大きく異なると思います。管理人はラストよりも途中途中で何度も心が動き、またそれらが印象に残りました。

ラストは生と死が入り混じった、けれども心が洗われる、そんな印象です。

だからこそ、自身でも二度読みたくなる作品だと思いました。自分の考えや感じ方がずっと同じとは限らないから。

心から、今生きている人々に読んでもらいたいと思う一冊。

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