鏡は古くから存在します。
鏡に似ている透明で辺りを映すもの。水面。水は生き物がいる限り必要です。
人が世界に誕生した時から、水面を鏡にしていたという考えがあるそうですが、水たまりだとそのうち空へと引っ越しして新たに自分の姿を確かめる場所を見つけなくてはいけないので大変そうです。
今では部屋などでゆっくり鏡を見れます。外出前の身支度やちょっとお化粧直しをしようと鏡の前に立つと、もう一人の自分が立っています。
生活に欠かせない鏡。でも、いろんな話があります。ただ、姿を映すだけではないことを体験させる…。
あれは小学生の頃に起きました。
学校の近くにある文化財センターまで歩いて行って、そこからすぐそばにある丘でお昼をとりました。
それから文化財センターに入って、中を見て回るという流れでした。
中には遠い昔に使っていた復元された道具がありました。クラスの皆で騒がないように自由に見学しました。
道具の傍にある説明書きを見て、そんなものがあったのかー、使うの大変そうだなぁなど思いながら見て回りました。
奥に、店のように棚が並んだコーナーがありました。無機質で、飾り気のない棚が雰囲気を醸し出しています。
誰かと一緒にいてもふらっとどこかへ行く私は、その時も友達と一緒に見て回っていましたがその棚の方へ足を向けました。
棚の片側は壁についていて、奥にさらに棚があるというわけでもなかったです。
棚との間に、奥の壁の方へと進むスペースが並んで見えています。私は適当に真ん中辺りの棚を見ることにしました。
やたらとそこの天井付近が眩しく感じました。両側に鏡があったからです。
たしか、上の段と下の段に鏡が置かれていて、それが奥までずらりと続いていました。少し倒すようにして置かれていた為、上の方が眩しかったのだと思います。
鏡がある。そう思ってすたすたと中ほどまで歩きました。その鏡の棚の間には私しかいませんでした。
少し妙な空間だったことを覚えています。鏡がずらりと並んでいると、誰でもそう思うのかもしれませんが。
急に、胃の中にあるお昼のお弁当がかき混ぜられるような気持の悪さがやってきました。
筆者はすぐに踵を返して友達のもとまで戻りました。その時、友達は豆腐を作る道具を見ていた気がします。
何か一つ展示物を選んで、思ったことなんかを書くレポート用紙をはさんだバインダーは落としませんでした。
棚から離れると、気分は元通りになりました。
鏡はどれもはっきりと映るものではなく、実際昔の鏡は今のようにピカピカではなかったと授業で習った記憶があります。
それでも、いくつも並んでいて向かい合わせに置いてあるとなると、時空の歪みか何かあったのかも…。
誰かが誘おうとしていたとか…。再現の展示物とはいえ、鏡は鏡だし…。
誰かと一緒にいても、よく一人でどこかへ行ってそのうち合流する。
今ふと思ったのは、ふらりとその辺りに消える筆者が、本当に消えなくてよかったな、ということ。